最近オーディオ機器の投資が一段落して安心している。我が家では過去に3回本格的なオーディオ機器の買い物をした。最初が80年代初頭で、スピーカーはAllison Acoustics、アンプ・プリアンプ・チューナー・ターンテーブルはPhase Linear社製のもの。次は94年にスピーカーをKEF Reference Threeに、アンプ類をMcIntosh C38/MC7150へと刷新。この時にチューナーとターンテーブルから決別してソースはSonyのCDプレーヤーへ一本化。ここまでは特にオーディオ機器にのめり込む事もなくCDを満足に聴いていた。
ところが2008年に知人宅でSACDなるものを教えてもらい、マルチチャンネルで交響曲を聴いた時にその音楽性の再現能力に驚嘆してから自分もマルチをやろうと思い立ち、2008年末にスピーカーをVienna Acoustics Beethoven Concert Grand (T-3G)にアップグレードした。このメーカーはそれまで聞いたことのないメーカーだったが、音に感動したのとマルチチャンネルシステムが組める製品ラインナップだった事が決め手となった。アンプはMcIntoshからSonyのデジタルAVアンプにアップグレードされ(マニアにはダウングレードだろうと叱られそうだが)、センターとサラウンド、そして英国REL社のサブウーファーが追加され念願のSACDマルチチャンネルシステムが完成した。
と、ここで止めれば良かったのだが、その後がいけなかった。「欲」が出てきたのである。SACDのマルチというのはクラシックを聴くには理想的な環境なのだが、アンプ自体の「趣味性」が乏しいのだ。ボリュームの使い勝手や質感もイマイチで、2チャンネルのCDが物足りない。そして何より「どこも動かない」のがつまらなく感じていた。
私は洗濯機が回っているのをずっと眺めるのが好きな少年だった。時計が動くのを見るのも好きだったし、とにかく「機械が動いている」のを見るのが好きなのだ。McIntoshを選んだ理由もメーターの針が動くのがいかにも「機械」的で有機的だったのが決め手だ(またもマニアには叱られそうな動機)。
考えてみれば古いアンプを死蔵するのはもったいないし、売ってしまおうか、そして聴かなくなったアナログレコードをどうしようかと考えているときにオーディオ屋に寄ってしまったのが今から思えば運の尽きだった。
2009年、気がつけばリビングにはアナログの為の大げさな真空管システムと伊太利亜の巨大スピーカーが陣取っていた。成り行きだっと言えばそれまでだが、自分ってこんなに物欲が強かったのかと、機器購入熱から覚めた今ではそう思う。
しかしひとつだけ安心していることがある。それは機器投資が一段落したら落ち着いて音楽が聴けるようになってきた、ということだ。今年の初めから夏にかけては音楽よりも機器の方に関心が向いてしまっていて正に本末転倒な状態にあった。この時の精神状態はまさに「音楽の為の機械」といよりも「機械の為の音楽」という感じで、音楽よりも音ばかりに神経質になっていた。私は「音楽を置き忘れたオーディオ」ほど悲劇的な事は無いと思っているので、自分でも心配した時期だった。私も「感性や音楽」よりも「理屈と物欲」という、一部オーディオ「機器」マニアになってしまうのだろうか、と。
しかし今から振り返って見ると、この時の試行錯誤が私が一体どんな音を求めているのかというのを真剣に見つめる機会になっていたのだと思う。それまでは深く自分が求めている音を出す機器を選んだという意識はなかった。この時期に自分の求める音、音楽再生と、それを再現してくれる機器がどんな物なかを理解できたのだ、と今では思う。
結局私はクラシックの再生に軸足を置いていて、生演奏をいかに忠実に、自然に再現できるかという観点で自分なりの音を追い求めていた。その結論がSACDによるマルチチャンネルによるコンサートホールの再現性、アナログなら真空管で奏でるスペック的には不完全でも有機的で優しい音だった。この二つのシステムで聴く音楽は私に至福の時間を提供してくれるし、音楽への理解が更に深まったような気がする。
最近はオーディオ屋にもあまり寄らなくなった。その代わりソフトを大量に買い込む日々が続いている。今ざっと見て今年だけでも370枚程のCD/SACD/アナログを買っている。毎日1枚以上買っている計算だ。全部聴いているのかと聴かれれば、全部聴いていると答えられる。毎日少なくとも2時間は音楽に時間を割いているからだ。身体的には実に不健康である。iPodでも買ってジョギングに行け、とは妻の言葉だ。
自分にとって未曾有の散財をした今年が終わろうとしているが、来年はどんな年になるのだろう。オーディオ機器への投資はもう当分無いと思うが、あるとすればネットワークプレーヤーだろうか。iTunesの利便性と音質はかなりのレベルにあり、将来的にはメディアはデータに取って代わられるだろう。その時、iPodなどの大衆機とハイエンドとの音質差は限りなく小さくなり、所謂ハイエンドオーディオは一部を除き衰退していくような気がする。個人的にはそれでいいと思っている。昨今のハイエンドオーディオは色んな意味で異常だと感じているからだ。それについてはまた後日書いてみようと思う。