何故私はクラシック音楽再生においてSACDマルチチャンネルに拘るのか。それは音楽そのもののメッセージ性はもちろんだが、音楽家の解釈、そしてそれを伝える技巧や「心」を聴く者に的確に届ける力量がSACDマルチチャンネルにはあるからだ。
ただ残念なことにSACDはその良さを広く理解されているとはとても言い難い。理由は沢山あるが、主なものを挙げると以下のようになるだろう。
クラシック音楽を愛好する人口の絶対数の少なさ
マルチなんて聴いたことない
マルチをやろうにも部屋の制約がある
マルチをやる程音楽やオーディオに狂っていない
SACDとCDの音質の差が2チャンネルでは分からない
SACDソフトの絶対数が圧倒的に少ない
SACDって?
オーディオマニアに限っては、以下の理由もあるだろう。
DSD対応のDACが少ない
自分の力量で音作りをするのが難しい
マルチをやろうにも、フロント2チャンネルに渾身の投資をしてしまった
2チャンネル以外は「ピュアオーディオ」じゃないし、認めない
AVアンプなんてゲテモノだ
などなど。こうなると、SACDマルチをやる人間は「クラシック音楽愛好家で、オーディオ的知識を持ち、オーディオに対して柔軟な姿勢があり、マルチチャンネルを構築できる空間を持つ人」ということになる。そりゃ絶対数は少ないはずだ(^^;)
また、根本的な問題もある。それはほとんどのメジャーレーベルがSACDから撤退してしまったことだ。彼らの言い分はズバリ「市場が小さい」ということ。利益を追求する企業であれば採算の合わないものは切るのは当然の流れだ。しかし僕はただそれだけが理由だとは考えていない。SACDマルチというのはCDと比較して製作にお金がかかるものだ。だから本音では「やりたくない」のだろう。彼らの強みは多くの著名な音楽家を抱えていることで、彼らが「CDしか出さない」と言えば我々消費者は「ああ、そうですか」と言うしかない。我々がいくら「SACDを出せ!」と言ったところで、まるで人質を取られているように立場は弱いのである。仮にSACDを広めるつもりがあるのなら、今後出すソフトは全てSACDにすれば良い。そうすれば知名度は嫌でも上がるし、ハードメーカーだってどんどんSACD対応の機器を開発するだろう。
もうひとつの理由、これは邪推だが、SACDマルチの威力というのは絶大で満足度が高く、ユーザーは一度構築したらなかなかハードを更新しないという恐れをハードメーカーが抱いているのではないか、ということ。実際僕のシステムで聴くSACDマルチは本当に素晴らしく、ハード更新の意欲は全く出ていない。反面、2チャンネルのシステムはマルチの何倍も散財している (^^;) 彼らの思惑と、レーベルの思惑が変なシナジー効果を生み出してSACDの普及を妨げる原因になっているのではないだろうか。ハードメーカーが本気で音楽を「より良い音」で再生できる機器を開発したいなら、CDという露骨に古い規格に対して命を懸けないで、SACD対応機器に対してもっと情熱を注ぐのが本筋だと思う。それをせず、アプコンやアクセサリなどでお茶を濁すのは「悪あがき」以外の何ものでもない。オーディオマニアの多くはCDの音が本心では不満な人が多いので、少しでも「音が良くなる」と聞けばどんどん投資をする、そういう不健康な図式が成り立っているような気がしてならない。
SACDマルチは比較的安価に構築する事ができると同時に、ハードではなく音楽に没頭できるという点でとても優れたメディアだと思う。この良さが広く認知されていないのは、本当に残念なことだ。