最近知人から一通の絵葉書をもらった。絵葉書など何年ぶりだろう。
私は仕事柄、極端にデジタルな生活をしている。だからかどうかは知らないが、仕事を離れたところでは最新のデジタル技術とは距離を置いて昔ながらの旧いアナログの機械に囲まれるのが好きだ。例えば機械式のカメラをいじったり、60年代のアナログレコードを真空管アンプで聴いたり。だがアナログ一辺倒である訳でも仙人のような生活を望んでいる訳でもなく、デジタルという技術があるからこそ安心してアナログを楽しめるのだと思っている。ただ個人的にはデジタルは人間の生活を便利にしていることは否定しないが、文化レベルはアナログには敵わないと思っている。
とは言え決してアナログを否定する訳ではない。アナログとデジタル、これらは決して競合するものではなく補完し合うものだと考えている。ただやはりアナログの方が色々な意味で豊だ。例えば現代では携帯でメールを簡単に打つだけで瞬時に太平洋をまたいで知人のパソコンや携帯に届く時代だ。だが「言葉」は届いても「心」は届きにくい。アナログならば便箋を選ぶ事から始まり、文面をじっくり考え、文章を書いた後は封筒に入れる。そして切手を選びポストに投函する。投函された手紙は郵便配達夫によって郵便局へ行き、仕分けされ、飛行機に乗り、最終的にまた人の手によって配達される。同じ文章を書いても携帯で読むメールと手紙とでは相手に伝わる「心」がまったく違う。一枚の絵葉書が外国から色々な人の手によって配達されてくるというのはロマンチックであり、奇跡的だ。
写真でもそうだ。デジカメなら何千枚撮っても経済的には痛くもかゆくもないし、その中から特に気に入ったものを選べば良いだけなので撮影者は適当にシャッターを押すだけだ。だがアナログではそうは行かない。フィルムやレンズを選び、構図、絞り、ピントを決め、そしてシャッターを押すと言う行為。最後に親指でフィルムを巻き上げ「ふぅ」と一息つくまで、まさに一枚一枚が真剣勝負であり「文化」なのだ。こうして厳格なプロセスと対話を経て得た写真であるから、重みが全く違う。
オーディオにおいてはデジタルは色んな意味で革命的な変化をもたらした。誰でも気軽にオーディオ機器と格闘せずとも音楽が素晴らしい音で聴けるようになった。昨今に至ってはiPodなどで誰でも瞬時に数千曲をポケットに常時入れて好きな時に好きな曲を聴けるようになった。これはこれで素晴らしいことだが、それでもやはりアナログでじっくり聴く音楽とデジタルで気楽に聴く音楽とはどこか異質だと思っている。アナログはいちいち様々な儀式と苦労が伴うが、だが一連の作業は楽しくもあり、文化でもあり、針を落とす仕草ひとつでその人のアナログキャリアが分かると言うものだ。互いの命を擦り減らし合いながら音を奏でるレコードと針、同じく自らの命を使いながら音を増幅する真空管、それらアナログの象徴とも言える機械で聴く音楽とiPodで聴く音楽とは、心に響く何かが違う。デジタルに囲まれている現代だからこそ、趣味を通して文化を見つめなおしたい。
一通の絵葉書のおかげで忘れかけていた何かを思い出した気がした。