良質なマルチチャンネル録音をリリースし続けるPentaToneからリリースされている、ヤコフ・クライツベルク指揮・オランダフィルによるドヴォルザーク。
この4枚のSACDは交響曲第6番から第9番「新世界」まで網羅し、交響詩4曲がカップリングされている。ヤコフ・クライツベルクはロシアの指揮者だが、ロシア人にありがちな荒々しい雰囲気は全くなく、端正で紳士的な指揮が持ち味。緩急と溜めを巧みに織り交ぜ、独自の世界を築いている。かと言って奇抜さを狙っているわけでもなく、あくまでも正統派で渡し好みの音楽解釈をする識者だ。現在活躍する識者の中で私のお気に入りのひとり。
第6,7,8番のSACDにカップリングされているのが、同じドヴォルザークの交響詩4曲だ(第9番はチャイコフスキーのロミオとジュリエット)。どの演奏も文句の付けようがなく素晴らしいものばかりで、どれも一聴の価値あり。特にPentaToneの優れたマルチチャンネル録音はクラシックファンには是非一度は聴いてみて欲しいもので、この4枚のSACDを聴けばマルチチャンネルの素晴らしさが理解できると思う。
ところでこの4曲の交響詩、美しい音楽とは裏腹に実は凄惨でえげつない物語に基づいている。バンクーバーの蝋人形博物館の拷問のコーナーでも思ったが、昔の欧州人は実に猟奇的だ。以下は
Wikipediaより転載したもの(
規約に基づいて転載しています)。
「水の精」 (Vodník) 作品107、B.195
1896年1月から2月に作曲された。1896年6月3日プラハにてアントニン・ベンネヴィツの指揮により初演された。
ある娘が親の反対を押し切り、水界の王と結婚し、子供をもうけた。ある日、人間の歌を歌って子供あやしていると王にひどく叱られた。妃は里帰りさせてほしいと懇願して許され、親許に帰るが、母親は娘を水王のところへ戻そうとしない。妃が約束の時間までに帰らないので実家の前まで来た水王は怒って嵐を起こす。その最中に大きな物音がしたので娘が戸を開けてみると、我が子が首を切られて捨てられていた。
「真昼の魔女」 (Polednice) 作品108、B.196
1896年1月11日から2月27日の間に作曲され、初演は1896年11月21日ヘンリー・ウッドの指揮によりロンドンで行われた。
物語は、魔女が自分の悪口を言った母親に復讐するために子供を殺すという話。クラリネットで演奏される「子供の主題」とヴァイオリンで演奏される「母親の叱責の主題」が展開・変奏されて行き、それぞれ「魔女の主題」、「魔女の踊り」へと変容してゆく構成になっている。
レオシュ・ヤナーチェクはこの作品を大変に気に入っており、絶賛する評論を書いている。
「金の紡ぎ車」 (Zlatý kolovrat) 作品109、B.197
1896年1月15日から4月25日に作曲。1896年11月21日にロンドンで初演された。エルベンの詩による4曲の交響詩の中では最も長く、冗長との批判もある。このため、ヨゼフ・スークにより改訂されたこともある。
ドルニチュカという娘が森の奥の小屋で継母とその実の娘と一緒に住んでいた。狩にやってきた若い王に水を差しだし見初められたドルニチュカは、城に向かう途中、継母らの計略で殺され、その遺骸は森に捨てられる。しかし魔法使いが現れ、再び生き返らせる。魔法使いはドルニチュカに替わって王妃となった継母の娘に金の紡ぎ車を贈る。戦場から戻った王がその糸車で糸を紡ぐように命じ、王妃がそれを回すと、糸車が継母達の悪行を歌う。王はその歌に従って森へ駆けつけ、ドルニチュカと再会して、彼女と結ばれる。
「野ばと」 (Holoubek) 作品110、B.198
1896年10月22日から11月18日の作曲。1898年3月20日、ブルノでレオシュ・ヤナーチェクの指揮により初演された。
物語は、夫の死を嘆く若い未亡人から始まるが、その涙は偽りの涙であると語る。やがて若い美形の男が未亡人に近づき、2人は結婚する。亡くなった先夫の墓の上に樫の木が生え、野鳩が巣を作り、悲しげな声で鳴く。妻はその声を聞き、発狂して自殺してしまう。先夫は彼女が毒殺したのであった。音楽はこの物語を忠実になぞり、葬送の音楽から始まり、若い男と出会う未亡人の心のざわめき、結婚の祝宴、悲しげな野鳩の鳴き声を描き出し、最後は妻の罪を赦すかのように穏やかな長調で終わる。すべての主要主題が最初の1つの動機から導き出され多彩な変容を遂げる技巧的な構成であり、そのために高い緊張感と引き締まった構成をみせる傑作で、ドヴォルザークの交響詩の中で最も演奏頻度の高い作品である。